伊勢本街道は、江戸時代に大阪の玉造神社からお伊勢参りに向かう旅人たちに使われた街道で、その長い道のりを旅する人たちを癒すため、所々に宿場が出来ていました。 当時各宿場には旅籠、茶屋、紺屋、等がありました。 「奥津宿」もその中の一つの宿場町でした。 本家「河内家」は、江戸時代に大阪から辿り着き、この地で「こうや」を営んでいました。 ※本家に代々伝わる「こうや」の屋号。 「こうや」とは、藍染を専門とする染物屋「紺屋」の事。 けれども、時代の流れと当地の特徴に合わせて、林業や農業に家業を変えて行きました。 私たちは「こうや」を復活させ現代にアレンジし紺色だけでなく様々な植物の色や形を生かして、百数年のブランクを経て染物屋「色草」shikisouで再スタートしました。